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2017年8月22日 (火)

明治以降の教育について

 昨日まで、仏教を修行する立場の変化について書いた。そこで考えてみたが、明治維新までの仏教は、その時代の最先端の学問の一つであった。つまり考え方の訓練などが、そこにあった。
 しかし、明治維新の文明開化は、学問としての西洋的思考法を皆に習得させるように持って行った。その結果、多くの人が数学を理解し、数学的な論理を優先する思考形態になっていく。
 このような論理優先の世界と、宗教の世界が大きく離れてしまったのが現在ではないかと思う。
 今の世の中では、瞑想というと、何か神秘的なものを求めるようになる。
 しかし、昔の仏教は、仏の世界というものを、きちんと想像する手段としての瞑想だったのではないかと思う。そこでは、仏の絵姿を見て、安心した気持ちになる。そこで呼吸を整えて座る。これも立派な瞑想だったと思う。
 今の世の中、科学と神を別れさせるから、極端な神秘を求めるのではないかと思う。

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