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2017年8月23日 (水)

日本の敗因の本質は何か

 昨日、ダイアモンドオンラインで「失敗の本質」についての議論があった。
 http://diamond.jp/articles/-/138348
 「失敗の本質」は、旧日本軍の失敗をきちんと解明したということで、経営学などの分野でもよく読まれている。
 しかし、戦前の
   「大日本帝国の失敗の本質」
を考えるならば、もっと深い検討が必要だと思う。
 私の考えでは、まず「大東亜戦争」の失敗の本質には、現実と直面できない「空気支配」の日本という国がある。敗戦状況が明確なのにもかかわらず、それを認められない「空気」の支配があった。
 このような「空気支配」を作った一つの責任は、当時の新聞などにもある。戦意高揚と、煽るだけ煽った責任、これで引っ込みがつかなくなった可能性もある。このような面について、戦後の新聞社などは、GHQ支配に協力することで、自分たちの責任追及を免れている。つまり、マスメディアの責任論という、一つの本質議論がなくなっているのである。この話をきちんとしないと失敗の本質には、行きつかないと思う。

 さて、このような「空気支配」に関しては、実は日露戦争の時代から存在した。日露戦争の講和条件に関して、当時の新聞と民衆が、いかに暴走したか。しかもそのような暴走を政府も仕方ないとして許していた。
 ここで、大事なことは、
  「このような愚民とそれを煽る新聞社など」
の存在を、政府も許していたことである。
 これはいいかえると
  「愚かなものどもを、一部のエリートが導く」
という、ある種の開発独裁という形の政治であった。
 確かに、日露戦争などを勝ち抜くには、このような制度もある程度の有効性があった。

(長くなるので一旦お休み)

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