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2017年9月25日 (月)

解りやすい教材の弊害

 今の日本の教育はよくできている。特に、教科書はわかりやすく書かれている。このような教科書の存在は、知識の大衆化には有効だと思う。
 しかし、このような解りやすい教科書を読むだけで、勉強ができると思ってよいのだろうか?
 本当の身につく力は、判りにくいことを苦労して理解する時に、生じるのではないかと思う。
 このことについて、一つのヒントが天台の「摩訶止観」にある。摩訶止観では、段階的に悟る『漸頓』と、一気に全体を悟る『円頓』を、しっかり区別している。そして仏の世界にたどり着くためには、円頓が重要だと説いている。
 つまり、学校教材のように、教育内容を階層化し、理解する範囲を段階的に広げるかとが、漸頓の発想である。一方、現実社会の複雑さに正面から向かい合い、全てを一気に悟るのが円頓である。今の教科書的な発想では、どうしても教科書知識の使える、「理想的な社会」を考えるようになってしまう。そして、現実の複雑な状況に対して、本当に必要な解決を、考えることができなくなる。
 一方、全体に正面から向き合う円頓では、はじめはどうしてよいかわからないが、ある時に全体が見えたとき、何かの光明が見えることがある。このような解決策は、本質的な解決となることが多い。
 わかりやすい教材だけに慣れた人間は、このような難しさに対決する力が弱いように思う。

 ただし、このような教材の良さもある。一つは、初心者のは入り口を明確にしてくれる。また、ある程度の複雑な現実のまとめ方の方針を見せてくれる。成功例があれば、本当に工夫することができると思う。
 天台の摩訶止観は、法華経を実践するための修行である。法華経には、皆に仏の力があると説いている。このような、安易な答えを示すことに、上部座仏教などでの批判は大きい。しかし、成功の可能性を示すことで、多くの人を導くことができる。このことを、大乗の教えというのだろう。

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