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2017年9月18日 (月)

働き方の改革をするためには教育の見直しが大切

 昨日書いた、言葉に表せないができることの議論について、もう少し踏み込んで考えてみたい。
 今の政治課題として、大きな問題になっている、
 「働き方改革」
 http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000148322.html
においても、個々人の労働の生産性を向上させることが必要になっている。
 この問題に関連して、昨日書いた、「言葉で表現できない部分」の問題が、大きな要素となる。まず戦後の日本企業の体制に於て、新卒一括採用の含みとして、均一な人材の共同生活的訓練があったことを指摘しておく。こうして、先輩後輩の関係も含めて、横並びの縦社会で、「言葉に出せないものも含めて」伝承が行われていた。
 このような体系は、女性の社会進出や、IT技術などの革新的技術の出現で、色々と破綻をきたしている。
 今回、提案したいことは、このような「文章化・教科書化できないことがら」の伝承についてである。
 私は、この問題は「西洋文明の限界の議論」から始めるべきだと思う。つまり、ユークリッド幾何学をはじめとするギリシャ哲学の論理体系、ローマ法の法的体系、そしてルネサンス以降の「科学的」思考法の限界である。
 確かに、西洋文明の知識的なものに導かれた技術は、多くの成果を導いた。しかし、それだけで仕事ができるわけではない。アメリカなどでも「コンピテンシー」などの発想で、
  「行動に至る優位性」
を活用する管理も出ている。
 現在の教育では、知識付与とその確認が主体であり、一部にスキル訓練が行われている。しかし、今の知識表現を超える、相互的な思考法をもう一度見直すべきではないかと思う。

 私の考えでは、「西洋文明の論理」に対してもう一度見直すべきだと思う。西洋文明では、単純化した関係から、因果関係を見出してきた。このような物理学的思想には、確実性もあるので大きな成果が出ている。
 しかし、現実の複雑さに関して対応するためには、別のアプローチも必要だと思う。
 私が提案するのは、仏教のテトラレンマの発想であり、類推を活用した推論法である。確かに類推の活用には、アリストテレスに始まる論理的な確実性は望めない。しかし、このような
 「誤りの可能性を含む」
議論に慣れることで、現実の複雑さに対応できるものが増えてくると思う。自分い間違いの可能性があるから、謙虚に反省し、新しいものを学ぶ姿勢が出てくる。また、フェイクニュースなども冷静に評価できるようになる。
 このような訓練も必要ではないかと思う。

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