ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 見たくないものに目をつぶるののが「六根清浄」か? | トップページ | 今回の政局に関する仮説 »

2017年9月30日 (土)

与えられた範囲で考えるだけではリーダーになれない

 昨日書いた、「見たくないものに目をつぶる」ことに関して、もう少し議論しておきたい。
ここでは、
  「肉食する癖に、牛を解体する作業には目をつぶる」
ような人たちになってはならないという趣旨で書いた。その解決策として、天台の摩訶止観による「一念三千」で、
  「地獄の中ですら仏の世界を見る力」
を身に着けて、
  「全てを清くすることが、本当の六根清浄である」
と書いた。
 しかし、天台の教えには、摩訶止観の前に、「天台小止観」の教えがある。ここで『摩訶』は、『大』という風に理解したら、摩訶止観の前に読むべき教えとなる。さて小止観では、『一念三千』の教えはあるのだろうか。実は小止観は、そこまで要求していない。
 もう少し詳しく言うと、小止観は段階的に悟っていく、『漸頓』の教えである。一方、摩訶止観では、全てを一気に悟る『円頓』を身に着けることが求められている。漸頓の場合には、段階的に悟って行くので、一時的には「理想的な社会」だけで議論することも、方便として認めている。ここで大事なことは、力のある人間なら、一気に悟る円頓が望ましい。しかし、円頓ができない人間も多くいる。そのような人間には、段階的に悟らせ、とりあえず『空』の教えで不安を除くという、小止観の発想もある。
 
 さて、日本という国の文化・文明の受け入れ方を見れば、常に中華文明や西洋文明というお手本があった。特に法制度を考えると、律令制度にしろ、明治以降の憲法などにしろ、海外のお手本をまねした継受法である。
 お手本がある世界では、知識が整理されているので、段階的な学習も可能になる。階層的な情報整理ができれば、未熟な人間はここまで考慮させればよいという、ある範囲を与えて考えさせることができる。そして、多くの人間はこのような行き届いた教育に順応していく。こうして、だれかが与えてくれた、
  「理想的な環境で成立する理論」
を全てと思い込む人間が育っていくようになる。
 第2次大戦時点での日本は、東条英機の例で見るように、このような教育システムの優等生が指導するようになってしまった。
 しかし、本当のリーダーは、現実の複雑さに向かい合い、全てを考慮する必要がある。
 全てを考慮することは難しく苦しい。しかしそれに耐える人財をリーダとして育てないと、現在のような変革の時代には生き残れないと思う。
 

« 見たくないものに目をつぶるののが「六根清浄」か? | トップページ | 今回の政局に関する仮説 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 与えられた範囲で考えるだけではリーダーになれない:

« 見たくないものに目をつぶるののが「六根清浄」か? | トップページ | 今回の政局に関する仮説 »