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2017年9月 7日 (木)

「山本七平」という存在について

 近頃考えていることの一つ、
  「『山本七平』が、なぜ貴重な存在なのか?」
について、少しアイデアがまとまってきたので、忘れないうちに書いておく。
 山本七平に関して、知らない人もいると思うので、念のためWikiのリンクを貼っておく。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%B8%83%E5%B9%B3

 私が、山本七平の著作を読んで感じることは、直感的な鋭さと、論証の粗雑さの両面である。確かに、面白い観点で切り込んでいる。『空気』などという概念装置は、従来の日本人論より、うまく説明できると思う。しかし、なぜ『空気』が生まれ、暴走するのか、そのメカニズムまで踏み込んでほしい。特に、空気と対の『水を差す』話に関して、空論の現実との遭遇という形で、もう少し議論してほしかった。
 このように踏み込み不足の議論だが、彼のような視点が当時としては貴重だった、ということについて、もう少し考えるべきではないかと思う。
 つまり、山本七平は世の中でもてはやされたのは、1970年の「日本人とユダヤ人」以降である。当時は、まだ資本主義に対する社会主義の優位性を、堂々と主張する人が多かった。大学の経済学でも、マルクス主義経済学の方が近代経済学より多いという状況であった。
 象徴的な言葉は、
  「朝鮮民主主義人民共和国は理想の国」
である。当時は「北朝鮮」などと表現すれば、
  「差別的発言、歴史的な反省がない」
と袋叩きにされる時代であった。

 このようなアカデミズムに主導される、論壇の中で、
  「直観的にソ連などの体制はおかしい」
ということを、正直に言う勇気を持った人間か、山本七平であった。
 このような、今ではまともに見えることですら、発言するにはばかれる『空気』が当時にあったことに注意しないといけない。
 この空気発生理由に関しては、別途議論したい。

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