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2017年9月21日 (木)

「話せばわかる」の裏にある「言葉に出せないものを無視」

 昨日書いた、戦前日本の侵略主義に於て、
  荘園時代からある、「開墾することを大事にする思想」
が、無意識的に影響したという仮説について、もう少し考えてみた。
 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-08bb.html

 このように言葉に出せないものの重要性は、仏教なら禅などの関連で、色々と伝わっている。例えば、「維摩の一黙」「拈華微笑」などの言葉は、これをよく伝えている。しかし、西洋文明では、ギリシャの哲学やローマ法などの影響もあり、きちんと言葉に出して議論することが大切と、そちらに重点が置かれているように思う。確かに、フロイトが無意識の影響を解き、精神分析の学派などいろいろな動きがあるが、それをあらためていう必要があるのが、西洋文明の言葉優先の世界である。

 さて、我が国は、明治維新に於て、急速に西洋文明を取り入れようとした。そのために学校教育システムを充実させた。このような学校教育でも、言葉に出せるものの伝達が重視されている、逆に言えば、教科書が書けないようなものは教えるのが難しくなっている。(さらに教師の指導書、いわゆる赤本がないと教えられない教師が多いのも現実)

 ここで、前に書いた「荘園制度の時代から続く開拓信仰」等の話は、2重に抑圧されている。一つは、明治以前の制度の否定という動き、つまり徳川の政治は悪いものという教えであり、もう一つは成文化されていない動機に関しては議論できない社会である。

 しかし、フロイトではないが、社会が言葉で出せないもので動くとき、大きなひずみが生じるように思う。

 例えば、小泉訪朝以前には、
  「朝鮮民主主義人民共和国は理想の国、
  拉致などはアメリカ帝国主義のでっち上げ。」
という知識人の声ばかりが響き、言葉に出せない拉致被害者は、暗黙的に抑圧されていた。これが小泉訪朝で一気に爆発したから、色々と反動も起こっている。
 このように社会の言葉で出せない人の力について、もう少し考えるべきではないかと思う。

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