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2017年11月13日 (月)

管理の方法としてEQを使うべきか

 ここ数日、仕事の与え方やマニュアルの作成について考えている。特に仕事の分担について考えたとき、アメリカなら契約でもっと縛るのではないか、ということに思い当たった。つまり、仕事の範囲が厳密になっており、個々人の能力も明快である。これを契約書の形で明文化する。
 このような業務の管理なら、個人の知識やスキルが仕事に対して、適切かどうかという範囲で管理ができるだろう。複数の人間の協力体制においても、権限と責任が明確であり、人間的な好悪の関係が入り込むことは少ない。これを一言で言えば、IQで管理する世界ということになる。
 一方、多くの日本的な仕事の与え方は、ある程度の曖昧さが残り、特に仕事の分担においても、密接な協力関係が必要となる。人間的な好悪の関係、魅力の関係が必要である。このため、IQだけでなくEQ(感情的な豊かさ)も必要になる。
 ただし、アメリカ的な仕事では、外部の人間との交渉などでは、契約や理論通りにいかないことも多い。マクレランドがコンピテンシーの概念を見出したのも、外交官の仕事を通じてであった。このような場合には、人間的要素も必要である。
 また日本的な管理で、EQの高い人が親分となって、子分がみなその人のために頑張る、という形態では、次への改善が、個々人の能力向上という面に依存することが多い。確かに新技術を、親分が見出し採用する可能性はあるが、どちらかというと前例踏襲の場合も多くなる。これが、明文化されたルールや契約ならば、文章との違いが明確になるので、改善もきちんとできる。PDCAのサイクルが回しやすいということである。
 さらに、多様化した勤務の場合には、一様な価値観で統一し、滅私奉公的な働きを期待できなくなる。これを考えると、管理の方法として、できるだけ明文化を進めることは重要だと思う。

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 昨日書いた、EQ(感情面)を主体とする管理について、もう少し書いておくことがあ [続きを読む]

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