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2017年11月 6日 (月)

西洋文明的な発想の影響

 ここ2日ほど、宗教革命の関連で、キリスト教的な発想について考えてみた。つまり、完全なものを知る神の世界と、我々の世界の断絶の問題である。一方、仏教の世界では、我々にも仏の性があるということで、断絶というほどのものは感じない。ここで、我々は全体を感じ全てを理解して
  「本当に良いもの」
を人間が作れる可能性を見出す。一方、西洋文明の発想では、神様の作るべきものと、人間の作るものは断絶がある。従って人間のレベルでよいものを作れということになる。
 さて、もう一つ西洋文明では、ユークリッド幾何学に始まる、論理の展開がある。これは、一つの前提からきちんと、論理的に導き出していく素晴らしい体系だが、相互に入り組んだものを考えることを、排除する傾向がある。
 昔私が認知科学に関して学んだ時、計算論を展開していたピリシンが、
認知の階層構造で下位への侵入は不可能である。
つまり、感覚などの神経レベルの反応を、知識などのレベルから帰ることはできない。
という趣旨で説明していた。
 しかし現在の人間に関する研究は、人体のあらゆる部分から、全身に対して影響を与えることが行われており、相互の情報の流れが複雑に絡み、お互いに影響を受けて変化しあいながら生きていることが分かっている。
 
 このように、相互が影響を受けて変化しあいながら、とりあえず安定させるという発想は、施用文明の、上位からの指令で下位組織が動くという発想と異なったものとなるように思う。
 こうして考えると現在の組織は、交流分析でいう「親ー子」関係ではなく、「成人―成人」の補い合いながらの交流が、必要になってくる。
 管理職の仕事が一段と難しくなってくるように思う。

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