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2017年12月 5日 (火)

少年犯罪者の更生について(高機能性発達障碍者問題?)

 先日、読売テレビの「そこまで言って委員会NP」を見ていたら、少年犯罪を犯した人間が、被害者の遺族に対して行ったことについて、色々な議論が出ていた。
 その中で注目したのは、成人した「元少年A」の書いた手紙の一部を、ノンフィクションライター奥野修司氏が持ってきて辛坊治郎氏に見せたときの反応である。辛坊氏も彼の書いた文章には、それなりの反省的なものを感じた。しかし、「元少年A」の被害者家族への電話対応や、奥野氏への行動を聞いても、これはとても反省などのできている人間だはないと思った。
 さてこれで思い出すのが、神戸の連続殺傷事件の犯人が書いた、「絶歌」を読んで感じた、
   「表面的な文章などの反省で医療スタッフは満足しているのでは?」
という疑問である。
 この問題は、一部の犯罪傾向のある、高機能性発達障碍者の治療に関して、根本的な問題があると思う。ここで一部と書いたのは、高機能性発達障碍者の中には、社会に貢献できるような、能力を持っている人も少なくなく、狂暴性がある人間はごく一部であるということを、強調したかったからである。(個人的には、弁護士などの手段として、「発達障害」などを使うことには反発を感じている。)
 私が感じている、高機能性発達障碍者の問題点の一つは、他人の感情に対して、自然な共感力がないという点である。自然に共感できないから、思いやりができない。その後、教育などで教え込むと、文章を書くなどでは、きちんとした「反省」や「共感」を示すことができる。しかし、根本的な感受性が育っていないから、どこかバランスが欠けた行動になる。
 このような、基本的な部分の欠如に対して、現在の精神医療は対応できているのだろうか?特に、犯罪者の「医療的更生」を考えるなら、この部分まで治療できないと、公正な処置とは言えないのではと思う。
 ただし、人に対する思いやりというか、共感能力の欠如は、本当に脳の欠陥だろうか?
 子供の時に、友達付き合いなどの経験がないために、育たなかったのかもしれない。そのような面でも、精神医療として、きちんと検討してほしいと思う。

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