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2018年1月16日 (火)

レポートとしての感想文が書けない

 昨日書いたように、論理的な文章に関する感想文は、正解があるので比較的書きやすいはずである。
 しかし、実際は本を読んでまとめるという課題に対して、学生の抵抗は大きいように思う。一方、単にコピーペーストだけになって、自分の意見を加えることができない。このような学生が多いように思う。この原因をもう少し掘り下げてみた。
 ここで論理的な文章作成について、何を学んでいたかということについて、少し掘り下げてみよう。まず一つは、実験などのレポートである。そして、いわゆる「論文」の作成である。この二つには、比較的指導を行うことが多い。そこで感想文が抜け落ちている。
 しかしながら、この3つの文章には、大きな違いがある。
 まず、実験のレポートであるが、これはまず実験で得た、事実をきちんと記述することが第一目的である。そして、その実験の基礎になる理論から予測したものと、実験結果の間でどのような違いがあるかを検証する。ここで、違いが出たらその理由を考えて、考察として記述する。このような形がある。ここで大切なことは、理論と現実の違いを学ぶことである。理論を作ることは、現実の世界の複雑さを抽象化し、ある種の理想化を行っている。従って理論計算値は、現実の測定値に近くなっても合致しない。その理由を考えることが、実験の一つの目的である。実験レポートは、このような姿勢を身に着けていくための手段でもある。
 次に、論文の場合には、今までの学問の積み重ねに対して、どれほど貢献するか、これが重要な目的になる。そのために、厳密な思考法を身に着ける必要があり、多くは小さな問題から、解決していくことで、論文の書き方などを学んでいくのである。
 さて、感想文の場合には、古典などの定評ある文書を、きちんと読み込むことを求める。そして、その文書の一番中心となっている、大課題に向き合って、その解決策をきちんと理解して、感動することが必要になっている。このような、本筋の大問題との向き合いと、細部の議論とをきちんと分けないといけない。
 例えば、マックスヴェーバーの主著である、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読んだ感想文なら、
プロテスタントの倫理観が、労働意欲を刺激して資本主義を生み出した。
他の宗教的な環境では、このような労働意欲が生じていないことを、歴史的にいろいろな世界を見ながら比較検討した。
このような歴史的に見て、色々と比較する手法は、今まで学んできた歴史の知識の新しい使い方になる。
という風に書くが、一方論文なら
XXページの、「鋼鉄の檻」という訳はふさわしくない。理由は~~。
等という、細部へのこだわりが重要である。
 この違いをしっかり意識して、感想文教育を行うべきだろう。

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