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2018年1月29日 (月)

攻撃だけでない議論を生み出すには

 昨日書いた「不倫報道しかできない週刊誌はなぜ生じたか」について、もう少し解決策を考えてみた。
 実はこの問題は、前にも私は書いている。
このときには、政治の問題が主体であったので、妥協しながら政策を通すという発想で、解決策を書いてみた。
 今回は、これを教育の問題で考えてみた。学校教育においても、優劣や正解による評価が多い。これが一つの原因ではないかと思う。
  「自分が正しい」
このように主張して、先生に認めてもらう。これが学校の場面での成功である。この発想が刷り込まれているのではないかと思う。
 さてこれに対してどのような対策があるのだろう。
 私の考えでは、
  「一緒に考えて新しいものを創出する」
これを評価すべきだと思う。確かにこれは、教える側にとっても負担になるが、建設的な議論を行う一つの切り口となると思う。勝ち負けにこだわると、どうしても攻撃的になる。そのためには、建設より破壊という発想になる。そして揚げ足取りが進む。
 さてこれをもう少し別の面で見ると、歴史教育などにも見直すべきものがあると思う。特に西洋文明の歴史を見れば、多くは侵略がらみの戦争の歴史である。つまり勝ち負けの話が主体になっている。
 しかし、日本の歴史をよく見れば、戦いもあったが、多くの開拓が行われている。徳川家康の話で、関ヶ原や大坂の陣の戦いを教えても、関東を開拓し多くの農地を生み出したことを教える人は少ない。侵略などによらずとも、収穫を増やす手段がある。このように、得るものを増やす発想が、我が国には存在した。
 マルクス主義に毒された、戦後の歴史教育では、昔の統治は搾取ばかり、という発想でしか教えないかもしれないが、徳川時代やそれ以前から、我が国には内部で成長する伝統があった。そこでは自然と協力できる余地があった。
 このような点もしっかり見直すべきではと思う。
 

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