ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 学問の自治を言うならしっかり対応すべき | トップページ | 権威は自らの力で維持すべき »

2018年1月 9日 (火)

阪大の入学試験のトラブルに関して科学哲学の議論は?

 昨日書いた、阪大の物理学の入学試験のトラブルに関して、もう少し考えてみた。
 この問題は、単純に考えてはいけないように思う。
 
 私も一つ見落としていてが、大学入学試験というルールの中での議論なら、高校の物理学の範囲で解答できるようになっていなければならない。このように考えると、この問題に関する議論は、物理学の教育関係の学会での議論が必要だろう。
 しかし、問題を解く方に関しては、高校レベルに限定されることはない。極端な話を言えば、縦波の進行波と反射波の問題として、微分方程式をとても良いのだろう。しかもその時に、音叉自体と、空気の粗密波が影響してどのようなことが起こるか、も考えてもよいだろう。(もっともこれに関しては、「音叉は十分小さい」という限定条件があった)
 さて今回のトラブルについて、問題自体で議論すると、限定条件の記述不備である。音が反射する壁の材質などに関して、きちんと限定していれば、このようなトラブルは防止できたはずである。(高校のレベルで縦波、横波の理解ができるかという突込みはある)
 一方、大学の姿勢としては、外部の批判に対して、謙虚に公開の場で対応することが必要である。
 これらの問題に対して、科学哲学の立場から、もう少し発信があってもよいと思う。
 一つは問題を考える時に、どのような理想化を行うかという問題であり、しかもその理想化の共有という問題である。
 もう一つは、科学の特徴としての、反証に対して誠実に答える姿勢である。これを単純な権威で、追い払う姿勢は深く反省しないといけない。
 

« 学問の自治を言うならしっかり対応すべき | トップページ | 権威は自らの力で維持すべき »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 阪大の入学試験のトラブルに関して科学哲学の議論は?:

« 学問の自治を言うならしっかり対応すべき | トップページ | 権威は自らの力で維持すべき »