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2018年2月12日 (月)

自立とフィードバックの関係

 昨日も書いた、「自立した人間」となるために、今回はフィードバックという概念を考えてみたい。
フィードバックという言葉は、電子回路や自動制御でよくつかわれているが、実際は多くの生き物の体内にも存在している。それどころか、我々の多くの行動は、フィードバックを確認しながら行うことが多い。
 例えば、外出する時に鍵をかける、その後ドアノブを動かしてカギがきちんとかかっているか確認する。このように
  行動→確認
これも立派なフィードバックである。
 さてこのフィードバックという概念が、なぜ電子化された世界で、重視されたのだろう。ここで少し歴史をさかのぼってみよう。なお、この部分はマクルーハンの発想に負うところが多い。
 まず、ギリシャのプラトン以前の世界まで戻ってみよう。その時代のコミュニケーションや教育は、詩人の口誦を受けて、それを聞いたものが暗誦できるようにする。それを皆が確認してできたという評価を得ていた。kのように狭い世界で、密なコミュニケーションなので、フィードバックは確実に取れていた。
 次にプラトンの出現で、教科書的な文書が生まれてくる。これを読む人間は、一人で読むこともあり、師弟の会話は限られたときとなっていく。つまり一方的に読み、聞く世界が出てくる。そしてグーテンベルグ革命まで、書物が一方的に情報を送り込むようになり、反論という形でのフィードバックはあっても、限られたものとなってくる。もう一つ言えば、書物に対するフィードバックは、早くて手紙や講演、遅ければ別の書物ということになる。しかも郵便制度なども不十分な世界では、その伝達の時間も長くかかる。このような状況では、フィードバックによる修正などは実用上無理がある。従って、
  「しっかり考えて間違いのないものを書く」
という姿勢が求められるようになる。
 ここで、マクルーハンの言う「電気の世界」を考えてみよう。電気の世界では、フィードバックは即時に行われるので、実用上システム内に組み込むことができる。目標値に正確に命中せずとも、近くに行けば修正して、命中させることができる。このように、許容範囲が増えてくるのである。
 教育や著作でも、現在のネット社会では、
  質問や仮説提示 → 確認応答
というフィードバックがかなり速く動くようになってきた。
 このような、フィードバックは、不完全な考えでも、色々な修正を加えることで完成に持って行くことができるようになり、人材の育成に対して大きな可能性を開いた。
 しかしながら、フィードバックに依存する状況も出てしまう。自分の考えを、立証できずに、他人の評価に投げてしまう。このような依存体質になれば、自立などできない。
 自分の考えには、根拠をきちんと見出し、しっかり論証する。その上で、謙虚に他の意見を聞いて反省する。自立するためには、このような姿勢が必要である。

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