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2018年2月 9日 (金)

スマホ普及の意味を考える

 マクルーハンのメディア論を読んでいて、時間要素の重要性に気が付いた。例えば、新聞は電信による即時通信ができたから、今のような多様な情報を提示する形なった。それまでは、一つの主張に関連する情報をまとめて提示する、今では週刊誌などの役割であった。
 そのように考えると、テレビで世界中の情報が見れるため、世界のつながりが密になり、一つの部族的社会になるというのが、マクルーハンの主張であった。この主張に関しては、あまりにも単純すぎる。正しく
   「アメリカの正義押し売り」
という感じで、現在の多様化社会を読みそこなっているように思う。
 しかし、マクルーハンの指摘にはいろいろと考えるべきものがあると思う。特に、フィードバックの存在について、もう一度見直すべきだと思う。
 このように考えると、現在のスマホ普及社会というものは、多くの人に自分で発信する力を与えるとともに、その情報に対する反応を期待できるようになっている。
 「インスタ映え」が流行語になったように、他人の称賛を浴びる可能性が見えてきた。この効果は大きいと思う。
 こうした形で、「誰でも参加」という社会は、「専門家が動かす」社会にどこかで衝突するように思う。

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