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2018年3月22日 (木)

現在の「魔境」について

 先日から、
   「自分の考えを持つ」
ことの大切さと、難しさについて考えている。そこで前に書いたブログを思い出した。
このブログで書いたことは、ネット上の情報にとらわれて、「それでいい」と思い込む状況が、天台の止観行で言うところの、
   「魔境に近い」
ということである。
 確かに、考えることを怠ける心、
   「これでいいのだ」
と妥協し安心することは、まさしく
   「魔の声に引きずり込まれる」
ことである。
 しかし、この「魔」は、ネット情報の鵜呑みという状況だけで発生するのだろうか?もう少し踏み込めば、『いわゆる権威』の言うことを、自分で咀嚼せずに丸呑みする。本来の勉強というものは、自分なりに解釈し、現実の例と突き合わせたり、もっと一般的な規則から演繹して確認したりする作業が必要である。このような納得のための作業を、放棄し
  「これでいいのだ」
という『魔のささやき』に従っている。このような人が多いのではないかと思う。
 これで、ネット上などで見られる、一方的でかみ合わない、相手の言うことを聞かない議論もどきが生じる理由の一つが見えてくる。
 なお天台の止観行では、魔境を超えると、全体を感じる『禅定』の境地になる。これは、物事の全体を見渡して、きちんと判断するということではないかと思う。

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