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2018年4月27日 (金)

当事者以外の発言で物事の本質が見えなくなる

 近頃の、色々な事件に対して、
   「部外者の意見が多すぎる」
と感じることがある。確かに見識ある第三者の意見は、ある程度重視すべきものがある。しかし、現場体験のない人間が意見を言い、それが大勢を占めたとき発生する弊害についても、少し考えておくべきだろう。
 
 現場体験がない人間が発言すると、どうしても一般論となる。そして、物事を大きくとらえ、個別の問題点が見えなくなってしまう。
 法律問題で言えば、『xx規制法』などの個別の法律で対処すべき問題に、直ぐに「憲法違反」などという議論を持ち込むようなものである。
 例えば、JR西の尼崎事故に関しても、事故当時の報道には、「運転士の前々の危険な兆候」についての報道もあった。私は、この問題の本質はまずここにあると思う。運転する人間に、危険な兆候があれば、どのようにして対策をとるか。管理面ではそのようなことを議論し対策しないといけない。しかし、色々と世間が話を広げ、「JR西の企業体質」という言葉からに話が大きくなっていく。
 またつい最近の、TグループのT容疑者のわいせつ行為に関しても、色々なたたきの書き込みや、報道が見えるが、物事の本質に触れていないように思う。
 私がこの問題で、注意すべきことは、「権力がらみのセクハラの悪質性」である。つまり、弱い立場のタレントなどに対して、強い立場の出演者や、事務所からの圧力によるセクハラと、示談によるもみ消し問題である。これは、パワハラとしても対策を考えるべきであろう。そのような悪質性を考えれば、警察がこの件を広報したことは納得する。世論の力がなければ、J事務所の力で、この件は闇に葬られ、別の被害者が出たのではないかと思う。
 

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