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2018年4月26日 (木)

人の心に寄り添う力はどのようにして育てるか?

 昨日書いた、「当事者を理解~~」の記事に関連して、もう少し議論しておく。
 事件の被害者などがどのように考えているか、それを想像する力は、どのようにして育つのだろう。これは一般化すると
  他人の心に対する思いやりはどのようの育つか
  自分と別の環境にいる人のことをどこまで理解できるか
という問題になる。
 これに対する答えは、
  「まずは義務教育の国語で、他人の感情に寄り添い理解させる」
というものが返ってくるだろう。
 確かに国語教育には、言語技術の訓練と、作品内の人の心に寄り添う能力の育成の2つの面がある。
 言語技術とは、論理的な文章の理解や、作成能力である。この分野は、科学的な文章、客観的な記述という価値観に支えられている。アメリカの作文教育などは、このような言語技術としての訓練がよくできている。一例を言えば、小学校のレベルから
  「事実と意見の分離」
を叩きこんでいる。
 一方、人の心に寄り添う能力は、多くは「文学的作品の鑑賞能力」という形になる。しかし、このスキルがきちんと学生に伝わっているかは疑わしい。多くは、文学青年(少女)崩れの国語教師による、感動の押し付けや、教科書指導書の正解に合わせた、感動を記述すれば、「良い成績になる」という程度の指導に終わっている。
 これに加えて、歴史の教育でも、その時代の状況に合わせて思考することが、本当にできているとは思えない。例えば
  「江戸は清潔な街であった」
という一言を、そのまま信じてしまう。確かに、当時としては、上水道が一応備わった街であり、ロンドンやパリなどと比べても清潔だったろう。しかし、汲み取り便所の臭いがするだけでも、現代人ならどのように言うだろう。このような、自分の生きている環境と、違う状況で生きている人の生活を想像し、その気持ちを思いやる。このような訓練が必要ではないかと思う。
 そのような役割を、国語や歴史の教育が行っているのだろうか?

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