ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 危機管理の観点からNHKを評価する | トップページ | 根本的な改革の為に »

2018年4月30日 (月)

社会的要因と体質的な要因を分けて考えること

 先日書いた、精神分析に対するミルズの批判に関連して、もう少し思うことを書いてみた。
 先日の議論は、精神分析の発想では、個人の中にある要因でしか、病気の原因を考えない、と書いてしまった。これは少し言い過ぎで、フロイトも家族の関係など議論している。これは少し捕捉しておくが、ミルズの指摘の本質である、
  「社会構造からの影響など公的な問題と、個人の問題の両面を解決する必要がある」
という観点から見れば、両者のバランスが欠けているという議論は当たっていると思う。
 そこで、近頃見かける、『サイコパス』という言葉について、少し考えてみた。
 ここで、一部の研究者は経営者や政治家にサイコパス的な人が多いと言っている。
 しかし、このような言い方でよいのだろうか?単純に脳内の構造で診断して、
  「サイコパスの体質」
と決めつけるてよいのだろうか?
 
 実は私もある研修会で、この手の決めつけでひどい目にあったことがある。当時私は、未成熟な部門を見ていたので管理方針として、少し強権的な運営をしていた。その時期に行った研修会で、交流分析の診断を受けた結果が、
 「強圧的で部下のことを聞かない最低の管理者」
という評価であった。私も、診断問題の択一の時、強権的な運営を現在しているので正直に書いたが、「性格上の問題」とまで言われたことには、だいぶ腹が立った。
 しかし、人間は立場によって、思考方法も変化する。特に価値観などの基本的なモノまで変化する。極端な話、コンピュータの基本プログラムのような、しっかりした仕様で厳密に思考するときには、
 「言われた言葉を額面通りにしかとらない」
という、まるで『高機能性発達障がい者』という風な思考形態になることもある。
 しかし、そのようなコンピュータ世界の人間でも、カウンセリングなどの勉強をしたり、社会学などを学んだりすると、多様な世界観を理解して、思いやれるようになる。
 これを体質の問題と決めつけるのは、医学などは「個人の問題」だけしか考えない、科学思考の専門分化の問題ではないかと思う。
 社会の要因ももう少し考えるべきだろう。
 もっとも、
  「すべて社会が悪い」
という人にも困ったものがある。

« 危機管理の観点からNHKを評価する | トップページ | 根本的な改革の為に »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 社会的要因と体質的な要因を分けて考えること:

« 危機管理の観点からNHKを評価する | トップページ | 根本的な改革の為に »