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2018年5月17日 (木)

大学で身に着けて欲しいモノ(続き)

 昨日書いた、ミルズの「社会学的想像力」に関連して、もう少し付け加えておく。
 大学教育は、一つは厳密な思考力を、身に着けさせるものである。例えば、
  1.   事実と意見の区別
  2.   因果関係と単なる同時発生の区別
  3.   一般規則と具体事例の関係づけ
  4.   理論が成立する理想条件下での議論
である。
 しかし、このような議論は、多くは細部の違いを無視した、理想的な条件での議論である。そしてもう一つ大事なことは、視点が一つに固定した議論である。この危険性について、理解していない人が多いように思うので、ここで少し考えてみたい。
 ミルズがこの観点で以下の典型的な問題を提示している
   「公的問題と私的問題の区別」
である。つまり、個人の内面的な問題や直接かかわる範囲の他人との問題と、個人の環境を超えて社会的な構造や制度の問題の区別である。そして、現実の社会では、これが同時に絡まりあって、問題を起こしている。
 例えば、JR西の尼崎事故に関して言えば、運転手の個人的な性格と技量不足の問題もあったし、JR西の会社としての制度的な問題もあった。さらに広げれば、高速運輸を追及する社会的な要求という問題もある。
 さて、ここで大事なことは、問題の再発防止や解決に関しては、
  「公的問題と私的問題の両方を解決しないといけない」
ということである。特に、私的問題だけに対処療法をしても、公的問題が片付かないとまた再発するということになる。一方、公的問題の議論だけしても、実際の現場の状況に合わないということも起こりうる。
 
 大学などで議論するとき、大きな話としての公的問題に流れることが多い。また対外的に発表する時も、公的に絞って追及したほうが議論しやすいという面もある。
 しかし本当の解決のためには、色々な側面からの解決が必要である。そのためには、問題状況を当事者の観点で想像する力が必要だと思う。

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