ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« スポーツの存続問題という危機意識がどこにあるか | トップページ | 森友問題の解決を妨げるモノは何か »

2018年5月29日 (火)

日大・アメフト事件から見る複合的な問題の解決

 日大のアメフト部の暴力タックル問題に関して、一度整理しておきたい。この問題は、以下の二つの大きな要素があると思う。
  1. 教育育成機関としての日本大学の在り方
  2. スポーツとしてのアメリカンフットボールの在り方
マスメディアやSNS上では、この両者が切り分けされずに、議論されているので話がこじれているように思う。
 特に、スポーツとしての議論では、大事な話が抜けている。(関学はこの件を認識しているが、日大問題を重視したので、今は置いているらしい)私が言いたいのは
現象:反則時の審判の行動が中途半端であった!
(反則選手を即時退場にすべきだった)
これができない理由
仮説1:審判の権限が弱く強い行動ができなかった
仮説2:審判のスキル不足
である。このように審判の立場が弱いのは、アメリカンフットボール競技全体として考えるべきことである。協議の性格上、危険なプレイが起こりうる。その時に
「審判の権限を強化して、退場や試合没収まで含めた対応ができる」
ようにすべきではないかと考える。このためには、審判の育成も大きな負担となるかもしれない。しかし、スポーツとしての存続を考えると、このような負担も必要だと考える。
 さて、もう一つの問題は、大学のあるべき姿に関する議論である。これに関して、大阪市立大学の朴教授が鋭い指摘をしている。
大学にとって、学生はお客様で、きちんと育てる義務がある。
日大の対応にそれが感じられない。
この指摘が本質だと思う。それどころか、M選手の記者会見を見ても分かるように、選手を窮地に追い込み、人格を破壊するようなことまでしている。このような手段で、
  「成果を上げる」
ことが評価される大学というものが許されるのだろうか?
 ただし、この問題に関しては、もっと社会的な問題がある。就活という問題である。今まで、採用する側にも
命じられたことに素直に従う体育会出身の学生が欲しい
という傾向があった。つまり、「内田」流の洗脳工作結果の人材を要求していたのである。
 確かに、マルクス主義の出来損ないの教育を受け、「資本家悪人論」「大企業横暴論」などを吹き込まれた学生が多かった時代には、上記の「命じられたことに従う学生」を欲しがる理由もあった。
 しかし、現在のように多様化し変化が激しい時代には、自分で考えて行動する人財が必要になってきている。
 このような面も考えて、日大の指導というものが良いモノかどうか、文部科学省はよく考えってほしい。
 なお、内田前監督は、今回の事件の直接的な指示はしていないかもしれない。しかし、人格破壊的な洗脳的指導のトップであることは間違いない。しかも、それが実質、経営幹部にいる日大(ナンバー2)の在り方が、本当に良いのだろうか。もう一度考えるべき時が来ているように思う。

« スポーツの存続問題という危機意識がどこにあるか | トップページ | 森友問題の解決を妨げるモノは何か »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日大・アメフト事件から見る複合的な問題の解決:

» 日大のアメフト部に見る大学の姿勢でよいのか? [勉強の方法補充]
 先日からの日大のアメフト部の指導などを見て、この大学は   「学生を自分たちの [続きを読む]

« スポーツの存続問題という危機意識がどこにあるか | トップページ | 森友問題の解決を妨げるモノは何か »