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2018年6月21日 (木)

児童虐待についての議論その2(親と社会の問題)

 昨日書いた、児童虐待の話の続編として、今回は原因側の議論をしたい。
 まず虐待の原因は、親の問題である。この点については、既に色々と言われているが、特に注目すべきは、
 「親自身が子供の時に虐待を受けていた場合」
である。昨日も書いたが、虐待を受けた子は、対人スキルが弱かったり、愛情について解らないで育つことがある。そのような状況で親になったとき、子供に対して接し方が判らず、虐待になることがある。このような、悪循環を防ぐためにも、子供に対する支援は必要である。
 https://www.dear-bae.com/  <=戦慄かなのさんの活動
 さて、このような問題には、個人的な側面と社会的な側面の両面から、議論することが大切である。今回議論したいのは、かなのさんが指摘している
金銭的に問題のない家庭での虐待は外からでは分かりにくく解決が難しい
という問題提起に関して、議論を深めてみたい。確かに現在、
    「子供の貧窮」
という問題に関しては、色々と議論が行われている。しかしながら、親の収入が安定している場合に行われる虐待に関しては、目が届いていないことが多い。しかし深刻な事例もある。例えば、東洋経済オンラインの以下の事例を見て欲しい。
 私が見る所、この問題の根本には、感受性の限定という共通の問題があるように思う。
 つまり
   金銭という尺度でしか見ない
   学校成績だけでしか見ない
という、一面的な尺度でしか評価できない。このような、人が多くなっていて、極端に走ると問題が起こっているように思う。
 確かに自然科学の分野でよく言われることは、
   「数値化したものに対して厳密な議論を行え」
である。しかし、これだけで全てと思い込んでしまうと、
   「金銭という数字だけですべてが分かった気になる」
となり、他の問題が忘れ去られてしまう。
 
 このような感受性の偏りにも、親や社会の無理解の原因があるように思う。 

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