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2018年6月22日 (金)

相手をつぶすだけしか議論ができない理由

 先日から、ある番組が
   「反社会的行為を正当化している」
等の意見に押されて、放送中止になったりしている。
 この問題に関して、一つの感想は
現在のこの国の議論環境は、お互いの意見を認めながら良いモノを作り上げる、というレベルではなく、どちらが良いかを主張するだけである。そして、相手を完全に否定することで決着としている。端的に言えば、相手を抹殺するための議論である。
である。
 これは、特に小泉内閣時代に激しくなり、橋下時代の大阪の政治などでも、ひどい動きがあった。特に反橋下の一派には、橋下氏の出自や親の問題まで取り上げて潰そうとして、返り討ちにあったこともあった。このような卑劣な動きが出るのも、
    「殺し合いの延長」
と見ればそのようになってしまうかと思う。
 さて、このような動きが出る理由を考えてみた。一つは、SNSの社会である。特にTwitterに見るような、短い文章だけのやり取りは、極端に走り
    「敵か味方か」
    「倒すか倒されるか」
という形になりやすい。これが原因の一つだと思う。
 そしてもう一歩踏み込むと、言語そのものの成熟という話になる。
 まだ私も整理できていないが言語には、以下の3段階の成長があるように思う。
  1. 外部環境にあるものと類似した記述
  2. 言語自体が独立した秩序を持つ段階
  3. 言語記述の蓄積でそれ自体で議論ができる段階
現在は、言語自体の蓄積が多く、その上で議論ができるようになっている。そのため、逆に言語と実世界の関係が薄くなり、現実性のない「議論のための議論」が多くなっているように思う。
 現実を見れば、そこで妥協点も見えるし、段階的な改善も見えてくる。現実を見ないから、極端に走るのではないかと思う。

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