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2018年6月30日 (土)

韓国の権力者の末路

 韓国の大統領は、交代すると前任者を牢に入れたり、自殺に追い込んだりする。これは、王朝交代時の先代の処罰という感じすらする。これは大統領だけでなく、今度はナッツ姫などで有名な航空会社のトップも同じような運命をたどるらしい。
 これに関しては
権力者の周辺で甘いするを吸った人間がいる
ということの報いという説もある。
 確かに、権力というものの怖さを知らないものは、どうしても権力の魔力に取りつかれる。しかも自分だけでなく、身内などまで力を持たせると、どうしても分不相応な行動になってくる。このような行動がたまってくると、どこかで暴発して不満のたまった人たちに処刑されるということになる。
 
 しかし、このような処刑レベルまで行く極端さの原因には、もう一つ別のものがあるよう思う。私の仮説は、儒教の原理主義の影響である。儒教の統治原理は
「徳のある人間が支配する」
「徳がなくなれば革命」
というものである。
 ただし、曲がりなりにも韓国は民主主義国家である。そして『法の支配』に従うということになっている。そこで妥協点として
「徳がなくなったトップの、法的違反事項を引き出して厳罰に処する。
これで再起不能にすることで革命的なことができる。」
という発想が出てきたのではないかと思う。
 ただ手段としての、法的違反の追求は、権力を持ったものに対してはあると思う。権力の力に対して、理論的な話だけで、交代を変化を求めることは難しい。そのような時には、スキャンダルなどで、追い落とすという手段もある。それでも、我が国の状況では
   「交代したらよくなる」
と皆が納得しないと、この戦法は成立しない。この理屈が判らない人が、少なくないように思う。

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