ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 日大のアメフト部に見る大学の姿勢でよいのか? | トップページ | 日本人の発表はなぜ自信がないのか? »

2018年6月 5日 (火)

SNS文章はどこまで理解されているのか?

 興味深いページに遭遇した。
という話である。この中には、ツイッターの情報を、誤解する人の事例が取り上げられている。この話には、私もいろいろと思い当たる節があるので、少し議論しておきたい。
 まず、一つの可能性は、ツイッターの文字数制限の問題である。文字数制限があるから、どうしても省略した文章になる。そこで、日本には、俳句や短歌の、
   「短い文字数で伝える文化」
 
があるので、短い文章で分かり合える、という過信がある。
 しかしながら、俳句や和歌の短詩で伝わるのは、お互いに共通するものがあるからである。このような共有物を前提にした、高度の文脈依存で成立するコミュニケーションと、ネット上の見ず知らずの人との間でのコミュニケーションを、一緒に考えるからトラブルが起こる。
 このような、共有物がないために起こるトラブルが多いと考えていた。
 しかし、上記記事だと、そのような問題ではないように思う。根本的な、文章の読解力がなくなっている。確かに、テレビなどの議論らしきものでも、特定の単語にだけ反応している人が時々存在する。
 この対策は、かなり難しいものがあるが、私は知識重視で、読み書きのような基本的なスキルを、繰り返し鍛錬する機会がなかったことも大きな理由だと思う。
 特に、自分と違う立場の人間がいる時、その人の状況を思いやる力、このような力を訓練する機会が少ないのではないかと思う。
 コミュニケーションは、単に伝える情報だけでなく、相手の気持ち、状況まで理解していくことではないかと思う。社会学的想像力が、このような時にも必要ではないかと思う。 

« 日大のアメフト部に見る大学の姿勢でよいのか? | トップページ | 日本人の発表はなぜ自信がないのか? »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: SNS文章はどこまで理解されているのか?:

« 日大のアメフト部に見る大学の姿勢でよいのか? | トップページ | 日本人の発表はなぜ自信がないのか? »