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2018年7月29日 (日)

勉強で身に着けるもの

 学問を学ぶことで何が身につくか、少し考えてみた。
 まず一つは、体系だった知識を身に着けることの利点である。例えば物理学のように基本原理から、きちんと導く体系的知識は、色々な所で応用できる。このような知識体系を現実に適用する訓練は別途行う必要があるが、その成果を生かすことの威力は大きい。これは、演繹的知識の活用というべきだろう。
 もう一つは、経験的なモノから、一般的な原理を見出していく経験である。現実に起こっていること、その本質を見抜き一般化していく。これは帰納的な知識習得というべきである。
 さて、勉強で身に着けるものは、このような知識だけであろうか?
 本当に身に着けるものは、このような知識の習得方法であり、整理方法であると思う。
 例えば、数学を学ぶときは、道具としての数式処理も学ぶが、幾何学のように公理・定義から始まって、体系立てて定理を導いていく手順を学ぶことで、知識の整理方法を学んでいく。このように、体系立てた知識の整理方法を学ぶことが幾何学を学ぶ意味であろう。
 次に物理学の場合には、ニュートン力学やマックスウェルの電磁気学を、基本方程式から導きながら学ぶ方法もある。これは現実に対応した問題を、基本方程式を条件に合わせて解くという形で解いていく。このようにして、基本原理と現実の間の関係を身に着けていく。
 逆に、現実の起こっている現象を、一般化していく学び方もある。電気の場合なら、クーロンの法則で電荷の間に働く力を説明する。これを一般化していって、本質的な方程式に仕立てる。
 このような現実に起こっていることを、理想化しながら、規則性を見抜き、本質的な関係を記述することで、一般的な知識を得ようとする。このような姿勢と手法を身に着けることも、勉強の一つの目標だと思う。
 このような学問の目的や価値を、きちんと教え、考えさせるのが、科学哲学の役割だと思うのだが、現在これができているのだろうか?
 なおこの考えの土台に系統主義教育と経験主義教育の議論がある。

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