ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 西洋文明の元をたどってみた | トップページ | 教育という世界の閉鎖性の弊害 »

2018年7月 5日 (木)

日本の文明の独自性

 昨日書いた
に対して、我が国には独自のものがあるように思う。
 それは、聖徳太子の17条憲法に見られる、
一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。
十七曰。夫事不可独断。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事。若疑有失。故與衆相辨。辞則得理。
という話し合い重視の姿勢である。
から引用した。
 さて、これがプラトンとどう違うか?この違いは、
「皆に本質の理解ができるという考え」
が存在するかどうかである。(特に第17条の教え)プラトンはこれを否定し、哲学者のみと言った。一方、聖徳太子は、これを肯定して、皆で議論せよと言った。
 
 私は、この違いの根底に、大乗仏教、特に法華経の教えが影響していると考える。皆に仏性があるという、法華経の教えに従えば、皆の意見を聞くことは肯定的に認められる。一方、西洋文明では、本来奴隷を使っていたりして、人間の能力には差別があるという発想である。キリスト教でも、最後の審判で地獄行と天国行に分かれている。
 法華経の「皆が将来は仏になる」という教えと根本的に違っている。
 このような教えが、根本にあったから、聖徳太子自身が、当時の超大国の隋に対して、対等な外交を展開することもできた。そしてその後も、和魂漢才で、独自の文明を維持できたと思う。
 このような根本思想の違いは、見えないところでいろいろな影響を及ぼしているように思う。

« 西洋文明の元をたどってみた | トップページ | 教育という世界の閉鎖性の弊害 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日本の文明の独自性:

« 西洋文明の元をたどってみた | トップページ | 教育という世界の閉鎖性の弊害 »