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2018年8月20日 (月)

政策の議論が本当にできるためには

 我が国の国会の議論などを見ても、政策の議論と称するものが、本当にできているのか疑わしい。
 この問題について、考えを巡らしていると、一つの不満は
  「全体像が見えていない」
という点に行き当たる。例えば、保育園の論争に関しても、
  「入れない」    -> 「保育園増やせ」
  「費用が掛かる」 -> 「無償化へ」
という形の個別の話しかできていないように思う。少なくともこの話なら
  「待機児童対策を優先的に考える、なお貧困家庭の支援は別途行う」
等の言い方もできるだろう。さらに言えば、
  「保育園不足は、立地条件などの問題と、保育士不足の問題がある。
  もう一つ勤務の多様化に伴う夜間保育の問題もある。」
等のもう少し、広げながら深く掘っていく議論が、皆に見えるように展開できないのだろうか?
 テレビなどの短い時間で、一部の問題だけを取り上げるのではなく、しっかりページ数を取った、本などの形で、全体像を描き、その上で主要ストーリーを展開する。このようにして、皆に全体像をつかんでもらいながら議論することが重要ではないかと思う。

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 昨日書いた、政策の議論に関してもう少し補っておく。  http://manab [続きを読む]

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