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2018年8月18日 (土)

写真を全てと思い込む危険性

 昨日書いた、「図と絵の違いに写真を入れて考える」の検討で、大事なものが抜けていたのでもう少し補っておく。
ここで議論したいことは、
   「写真がすべてではない」
という観点からの議論である。昨日書いた記事の終わりの方に
  写真の加工と、絵や図との基本的な違いがある。
 
 
 写真の場合には、不要情報を消去していく引き算
 
 図や絵は、自分が必要なものを描いていく足し算
という風に、写真から出発して、消去していく発想について書いた。
 確かにそのような方法はあるが、写真に乗らない情報もある。例えば、写真に写っている人にも、それぞれの歴史がある。そして色々な環境が影響している。また将来の可能性もある。このようなものは、写真に写っているものから推測できるかもしれない。しかしそれだけではないように思う。
 これは写真ではなく、動画やネット上の散在する種々の情報にも、全ていえることである。どのような情報でも完全というものはない。しかし、多くの情報を与えられると、それが完全と思い込んでしまう傾向もある。
 さらに言えば、私たちは『充実した学校教育』の恩恵を受けている。そこでは教科書の完全性を疑わなくなっている。
 このような、視野狭窄の危険性を考えて、表現できていない者の可能性、見落としの可能性について、謙虚に反省すrことが大切ではないかと思う。

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