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2018年8月17日 (金)

図と絵の違いに写真を入れて考える

 このブログの人気記事の一つに
 「図と絵の違い」
がある。10年ほど前に書いた議論だが、当時はヴェーバーの理念型の議論でこの問題を考えていた。しかし、現在の状況でこの問題を考えると、もっと深堀ができそうである。
 前に行った議論は、
図というものは、ある約束事で、描くもので本質的に抽象的なものである。一方、絵には、現実を写しているもので、読む人間の想像を引き出す。従って、図の場合の解釈は、あるルールに従うので、一意的に決まる。しかし、絵の場合には、読む人により解釈が異なる可能性がある。この場合、「何が正しい」と言い切るのは難しい。しかし、これから新しいことを創造する可能性がある。
という観点から、図と絵の違いを考えていた。
 今回は、これに写真というものを加えて、議論をしてみたい。つまり、絵にしろ図にしろそれを描く人間は、何らかの先入観または価値観を持ち、情報を選択している。一方、デジカメ等の画像は、構図を決めるまでは人間の意志があっても、その後はレンズに映るものを忠実に描いている。確かに遠近関係による大きさの変化や、焦点以外のボケもある。このように機械的な選択基準で写しこんだ写真の像と、規則によって描く図、そして人間の主観によって描く絵、この違いを明確にしておくことも大切だろう。
 ここで一つ加えると、写真の情報でも、インターネットなどに公開する時には、色々な加工が入る。例えば、必要部部の切り取りは、誰もが行うことである。さらに画像加工ソフトがあるので、顔の修正なども行う可能性がある。
 ただし、このような写真の加工と、絵や図との基本的な違いがある。
 写真の場合には、不要情報を消去していく引き算
 図や絵は、自分が必要なものを描いていく足し算
この二つの違いを、よく考えないといけない。現在のネット社会では、情報があふれているだけに、不要情報を除去する力が必要になっている。このような、無視する訓練を、我々は受けているのだろうか?それどころか、情報無視のための選別は、重要なスキルという認識があるのだろうか?ここから考えないといけない。
 もう一つ付け加えると、全体情報を与えられることに慣れた人間に、自分で図を描き全体像を構築する力を育てることも、難しいことではないかと思う。この課題も考えるべきではないかと思う。

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