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2018年9月29日 (土)

すり合わせができる会話能力は?

 このブログで何度か、「すり合わせ」について書いてきた。関連して、政治の中での意見形成や、多数派を作るための方法について少し書いている。
 これらを見て、思ったことは、
  「民主主義の実現のためには、議論を通じて多様な意見の
     『すり合わせ』
  が実現しないといけない。」
ということである。しかし、今の国会の状況を見ても、与党と野党の関係は、足の引っ張り合いでしかない。特に、旧民主党の系列は、個別の欠点を突いて、誰かの首を取るという言い方が目につく。
 こうして考えると、政治の上でのすり合わせができているのは、与党内部の調整や、大阪で見られる、協力関係にある政党間の事前打ち合わせぐらいしか見えない。
 しかし、海外でも、本当にまともな議論ができているのだろうか?民主主義の模範としてきた、イギリスでもブレグジット議論の展開を見たら、怪しいものだと思う。
 一方、私たちの学校教育を見ても、どうも合意形成と言っても、あらかじめ正解の準備されたものしか、旨く行っていないように思う。そもそも試行錯誤的に議論していくような、時間余裕が今の日本の教育にあるのだろうか?
 この原因は、すり合わせの実行に関して、個人芸に依存している部分が多くあることも、影響していると思う。
 私の考えでは、まずすり合わせには、二つの段階があり、この違いを理解する必要がある。一つは、個別のすり合わせで、お互いの歩み寄りや、フィードバックによる収束という形で完成する。もう一つは、全体像があいまいな場合や、お互いに見落としのある場合で、お互いの情報を持ち寄りながら、全体像を完成させていく段階である。全体像ができれば、個別のトレードオフの議論もできるが、全体像を造れないと、相互のすり合わせはすれ違いになる。
 また全体像はあっても、その内部構造などが理解できていないこともある。このような構造に関する議論、明確化ができれば、すり合わせも進むだろう。
 
 これがしっかりわかれば、民主主義も、もう少し定着するのではと思う。

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