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2018年9月 4日 (火)

今の日本社会はかなり無理しているのではないか

 昨日書いたいじめの話をもう少し考えてみた。
 #春名風花 さんも指摘しているが、学校へ強制的に参加させることも、いじめなどの一つの原因である。こう考えると、私たちは、学校・会社など色々なものに、強制的に参加させられていることが多い。人間関係のひずみは、このような強制参加が一つの原因ではないかと思う。
 ここで強制と書いたが、学校は特に義務教育ということで、無理をしている面がある。割り当てられたクラス、そこでの人間関係は自発的に発生するにしても、始まりは強制的な枠付けがある。
 さてこれを、古代の社会と比べてみよう。村や部族としての集まりであり、生まれたときから何らかの必然的なもでの集団である。但し、ここに王の支配などが及ぶと、強制的な手段が生じてくる。顕著なものは、軍事的な集団である。この時は、「戦いに勝つ」という目的が明確になっているから、集団としての体制は維持できるだろう。
 それ以外にできる集団としては、宗教的な集団もある、これはカリスマの力によるもの、経典などの力によるものがある。しかし、どちらにしろ集団の指導者にはそれなりの力が必要になる。
 次に学校制度について、少し考えてみたい。確かに明治の時期には、西洋文明に対する遅れというものがあり、知識の格差を埋めることの動機は多くの人が共有していた。従って、教師の権威は知識の差で維持できた。もう少し極論を言えば、大衆が知らないことが多いので、教科書などの知識を知っていることでも差別化でき、権威を維持できた。さらに教育勅語による権威もあった。
 しかし現在のネット社会では、多くの情報は公開されている。単に知っているということでは権威にはなれない。この落差に向き合わずに、教育者としての権威で、生徒を支配できるのだろうか?逆に権威なしで、生徒を支配というか、旨く人間関係の調整ができるのだろうか?
 このような問題に向き合わない限り、いじめ問題は解決しないと思う。

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