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2018年9月 6日 (木)

なぜなぜ追求と哲学者

 先日書いた、「なぜなぜ分析」関連の話について、もう少し思いついたので書いてみる。
 昨日考えていて気が付いたことは
 なぜを追及するということを、しつこく行うということでは、ソクラテスの問答法が、それにあたるのではないか!
である。
 しかし、どこか違いがある。少なくとも、哲学者の追求と、例えばトヨタの実務者の追求では、厳しい追求と言ってもどこかに違いがある。この違いはどこか?
私の考えでは
  哲学者:「真理の追求」 
        真理に到達できなければ永遠に続くか疑問を抱えたまま悩む
  実務者:「真因の追求」
        対策が見えるまで行う
という図式になる。もう少し言えば、なぜなぜ分析は、しっかり地に足の着いた現物や現場で行う。そして現実的な真因を見出し、トラブルなら再発防止策、良いモノなら水平展開ができるキーファクターを見出すまで行う。
 このように目標を絞り込んでいるから、永遠の疑問などに陥ることは少ない。
 もう一つ言えば、日本人の信仰には、大乗仏教の発想があり、
  「誰でも仏の智慧を得ることができる」
という観点である。キリスト教などの
  「神の世界は到達不能」
とは根本的に異なる。
 この真理理解力を信じているからこそ、なぜを重ねることができるのではないかと思う。
 

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