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2018年10月18日 (木)

読書感想文問題について

 読書感想文は、本を読まなくなった時代には無理がある、という議論が出ているらしい。確かに本も読まない子に感想文を書かせるというのは、無理があるように思う。
 しかし、読書感想文というものを、もう一度考え直すと、色々と面白いものが出てくる。なおこの議論は、ちくま文庫さ-13-4「文章読本さん江」斎藤美奈子著によるところが多い。
 まず、斉藤の指摘は
「読書感想文は、作文教育の手段である。作文において、子供の体験を書かせることは、家庭環境のプライバシー問題や、貧困差別の危険性がある。その点、課題図書に関する感想という形なら、誰もが平等に書ける(という建前)」
がある。
 これは鋭い指摘だと思う。実は私も貧困家庭の育ちなので、小学校の頃、同級生の夏休み報告の時、
「xxちゃんは海に連れて行ってもらった」
という話を聞いて、自分とは違う世界があると悲しい思いをした。(当時はそれをきちんと理解できなかったが、何らかの傷つきはあった)
 これを考えると、作文の課題に「適当な本の世界」というのは、妥当な選択ではないかと思う。
 さて、斎藤の追求は、これで止まらない。
「『読書感想文』は書評ではない。あくまで読書という『体験』を題材にとり、『私』を主人公にして綴られた、学校作文=私ノンフィクションの1バージョンなのだ。」
と書いている。これを踏み込むと、
  「課題図書を読むことで、私はXXに感動して、自分が変わりました。」
と言わせようとしている、とまで指摘している。
 これは鋭い指摘だと思う。
 確かに、日本の学校教育において、国語や社会の教育には、教師の道徳が反映している。つまり隠れた道徳教育になっていることは、時々指摘されているが、このことを作文指導の中で指摘したことは大きい。
 最後に、もう一つだけ、私の意見を言わせていただくと、
  「XXを読んで、私は実生活のYYと比べました。」
という風な経験を積むことは、勉強の方法として大切だと思う。このレベルすら、今の学校教育では到達していないように思う。 
 

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