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2018年10月14日 (日)

意味を伝える教育はどうしたらできるのか

 学校で習ったことは、使えないという話がよく出てくる。その一つの理由は、学問というものは、それが成立する理想社会だけの話という議論である。
 確かに、西洋文明の起源にある、ユークリッド幾何学でも、現実の物の形を、点や線などに抽象化して、その上で記号的に議論できるようにしている。物理学でも、物体の大きさを無視して一つの点に質量を集中することで、力学の議論を進めているし、理想的な気体という議論もある。
 ただし、自然科学の分野では、一応実験を行うことで、現実と理論値の違いを味合わせて、そこを考察するように教育している。この哲学的意味を学生が理解しているかは別にして、このような現実と理論の違いを教えることは重要である。
 こうして、理論を記述する言葉、つまり記号の体系と、現実の現象の間で繋がりが、意味を示している。記号の使い方と、その解釈の中に意味が生じている。
 さて、社会科学の中で、このような教育はできているのだろうか?
 まず社会科学の用語は、現実社会での意味を持っている言葉が多い。ヒルベルトが幾何学を議論したとき、
『点』を『コップ』という風な、まったく別の用語に置き換えて、我々が点に持つイメージを使わずに、数学的な定義や公理だけで、議論ができるようにする。
といっている。しかし社会科学の理論では、『市場経済』や『民衆』と言った言葉自体に、その言葉のイメージが関連した議論が行われている。確かにヴェーバーやデュルケームは、物理学の『理想化』について、理解してそのような用語の使い方を目指そうとした。例えば
『理想的』な『犯罪者』という議論が行えるように、価値判断から自由になる
という風に苦しんでいる。
 しかし、社会科学の教育において、理論のための用語を、現実のイメージから切り離すことをきちんと行って、学生が身に着けているかは疑問点がある。今の政治に関して、『保守とリベラル』と言っているが、
   「憲法改正をしたい保守」
等というものを、世界中の学者はどう思うだろう?
 このような用語の混乱から、整理すべきではないかと思う。
 もう一つ言えば、社会学などでも、自然科学のような実験考察は、できないことはないと思う。具体的には歴史の世界における思考実験と、比較考察である。
 このような訓練をきちんと行うことで、本当の意味を理解した、理論的知識が身につくのではないかと思う。

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