ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 現在は個人の能力議論でも外部との関係に注意 | トップページ | 経験を説明できる力、深める力 »

2018年10月 6日 (土)

「異常」という言葉で見えなくなるもの

 デュルケ-ムの社会学について学ぶと面白い話が出てきた。
ここで、犯罪を異常なものと決めつけることの問題点を議論している。
確かに、社会に対する『基準からの逸脱』は常にある。これを異常なものと決めつけてしまうと、それ以上見えなくなるのではないか?
また、
  「異常なものは排除する 」
という発想で、見ないで済ませることでよいのだろうか?
 このような観点で、会社のパワハラ問題や、無能管理職問題を考えてみた。
 これをこれを「異常な事態」と考えると、結局それを行った
  「個人の問題」
となってしまう。
 しかし、そのような
  「逸脱行動は社会的にあり得るモノ」
と考えると、組織的な対策を考える必要が出てくる。
 もっと言えば、侵略する国家は常にある、と考えることで、防衛問題は真剣に検討すべきことになる。これを
 「戦争は異常なモノ」
と目をつぶっていたら、平和憲法だけがあればよいという、お花畑議論になってしまう。
 『異常』と決めつけず、常にある変化範囲への対応と、向き合うべきではないかと思う。

« 現在は個人の能力議論でも外部との関係に注意 | トップページ | 経験を説明できる力、深める力 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「異常」という言葉で見えなくなるもの:

« 現在は個人の能力議論でも外部との関係に注意 | トップページ | 経験を説明できる力、深める力 »