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2018年10月15日 (月)

解決できない問題への対処法

 先日、禅について少し書いたが、禅の指導には、うかつに行うと危ない面がある。その点、天台の止観行には、安全性が高い。
 例えば、自らの心に向き合う場合でも、懺悔の方法がきちんと決まっている。
  1. まず因果の道理はくらますことはできない。自分のした悪行は残る。
  2. 自ら恥じてけじめをつける
  3. 悪の世界を恐れる
  4. 自分のした罪悪を告白し、おのれの過失を隠さないようにする
  5. 罪の行為を絶つように決心する
  6. 他の人を思いやる菩提心を起こす
  7. 少しでも善行を積むことで今までの過誤を償う
  8. 正しい教えを守る
  9. 十方の仏を念じる
  10. 罪悪の本性は空であると観ずる
これはよくできたシステムだと思う。まず逃げずに自分の悪と向き合う。しかし、自分の心を広げて、他人まで思いやれるようにし、善行を積む仏様に守られていることを実感する。その上で、罪悪の心は『空』と消してしまう。
 この段階を踏めば、自らの思い上がりや、他罰的な言い逃れもなくなる。一方、仏の救いを感じながら行うので、自分の行ったことに、向き合って反省することで、つぶれることもない。
 座禅の教えでは、いきなり難題に向き合わせようとすることで、ブレークスルーを求めたり、自分の心に無条件で向き合わせようとすることがある。
 自分の心に真剣に向き合うと、反省すべきものが見えてくる。しかしその重みに真剣に向き合えば向き合うほど、自分の心が壊れるか、責任逃れの他罰的なモノになってしまうことがある。
 このような弊害を防止するためには、仏の救いまで含めた、懺悔の全体像を示すことは大切だと思う。
 形式的な懺悔は弊害が多い。しかし、救いなしの懺悔の危険性も大きい。
 解決できない問題を、人に背負わせることの危険性をよく考えて、救いの道を作っておくことが大切だと思う。

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