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2018年10月 4日 (木)

研究の自由に値する大学とは

 今年もノーベル賞の時期になった。
 この時期、何度も出てくる話題が、
 「京都大学からなぜノーベル賞が出るか?」
という議論である。朝日新聞のHPに一つの答えが出ている。
つまり、
    「京大には研究の自由がある」
というのが一つの答えである。
 私は、
この話の裏を実体験している。40年ほど前ある学会で、東京大学のW教授とお話ししたとき
XXは我が国に影響を与えることは間違いない。
私は、XXの研究は好きではないが、我が国に影響するものは研究せざるを得ない。
と言われて、感動した経験がある。
 このように、東大には国益に絡む研究を優先するということで、
 
    「自由は制限される」
状況である。
 このように考えると、東大でノーベル賞が少ないことも、納得し感謝すべきものがある。
 ただし、この話をもう一歩進めると、
   「研究の自由と言える資格はどこにあるか?」
という議論がある。
 私は、科研費の取り合いなどの政策論の話でなく、
   『科学というものについての哲学論』
について、研究の自由について、強靭な議論ができるのは、京都の学問的風土にあると思う。
 もっとも、京大の哲学に関しては、前の戦争に絡む、黒歴史もあるが・・・

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