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2018年10月12日 (金)

物理学的な思考道具と社会学の思考道具

 昨日書いた、物理学と社会学の違いについて、もう少し検討しておく。
私たちが考える時、言語によって考えることが多く、現在の文明は言語による議論で育ってきたと言ってもよい。
 しかし、物理学の言語と、社会学の言語では使い方に違いがある。
 物理学の言語は、記号に対してきちんとした定義がある。この定義は、公開されているので、共有することができる。従って、コミュニケーションを行うときには、必要な『記号』だけを伝達すれば、言語としての情報伝達は完了する。
 また、自分が考える時にも、数学のような厳密な言語のルールに従った、処理を行うことで、誰もが検証できる議論を行うことができる。
 一方、社会学の場合には、言語で扱う概念に、色々な含みがある。社会そのもののを背負った『概念』である。例えば、『帝国主義』と言っても、マルクス主義の人たちと、ローマ帝国の研究者では、イメージするものがずれている。
 しかも、研究者ですら、思考の中で、自分のイメージした概念での議論を行う。そのため、ヴぇーばーは理念型と言って、色々なものを含んだもので議論をしていた。
 このような含みのあるもので、議論をするときには、世界観のようなものまで伝達して、共有できないと、どこかで誤解を生じる。
 この危険性は、あまり認識されていないようなので、改めて書いておく。
 通信のシャノンモデルは、あくまで物理学的世界観の上で成立する。このような『記号』の一人歩きが、今の世の中多いように思う。

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