ギリシャの哲学は神話と一体で学ぶ?
このところ、論理と詩や神話という問題に、色々と巡り会っている。
今日思いついたことは、プラトンの話も、ギリシャの神話をある程度理解しておかないと、判らないものがあるという話である。前に何度か取り上げた『ティマイオス』の宇宙論も、ギリシャ神話を理解しておかないと、よく分からない面がある。
これは、学問というものがその時代の常識を基礎にして成立しているから、ギリシャの古典を読むなら、その時代の古典である神話をよく読むというのは当然かもしれない。
しかし、このような背景まで踏み込んだ読みができていないのは、私だけだろうか?
どうも日本の教育の、切り取る文明輸入の悪影響のような気がする。
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