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2018年11月 9日 (金)

知識の活用とその危険性

 昨日書いた、プラトンの「ティマイオス/クリティアス:岸見訳:白澤社」に関して、もう一つ大事な話がある。
 私はこの本を読んだ時、少し違和感を感じた。その理由をここでは考えてみたい。
 つまり、プラトンがこの本で行ったことは
  「自分の知恵と知識で世界の成り立ちを説明する。
   =神の仕事を説明する。」
ということである。
 当然のことながら、当時の科学知識は現在と比べてはるかに劣るので、宇宙に関する彼の話は荒唐無稽なものとなっている。
 
 しかし、私たちも同じ誤りをしているのではないか?
 今の科学知識で自然の謎、人間行動のからくり、このようなものが判った気になっている。さらに、文明が進んだ国は、
   「途上国の指導」
等と言っている。これが本当に正しいのだろうか。
 自分たちの持っている知識で、世界のからくりはわかっているのだろうか?
 確かにキリスト教等の文明だと、人間には到達不能の世界があると戒めている。
 これが必要ではないかという感じもしてきた。
 もう一つ、このように知識や科学の力を信じていると、それが出来ないときの犯人探しが始まる。この弊害も忘れてはいけない。
 私たちの若いときには、
  「マルクス主義は理想の社会、それが実現できないのは独占資本化が悪い」
と言っていた。
 このように、自分たちの欠点を無視して、他人のせいにする。知識万能にはこのような弊害もある。

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