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2018年11月17日 (土)

図についての議論の続き

 昨日書いた「図」に関する議論を、もう少し別の西洋文明の成立という面から考えてみたい。 
 まず西洋文明の基礎には、ユークリッドの幾何学が存在する。定義‣公理から推論を重ねて、色々な定理を導く考え方は、西洋文明で大きな力を発揮した。これがギリシャの哲学を支えている。
 次にプラトンが
  「詩人でなく哲学者が教える」
という教育法を打ち出した。これは、
  「詩で伝える全体的なイメージではなく、
    『適切な定義のある概念だけを使った議論』
  で教育すべきである。」
という発想である。
 これを推し進めたのがアリストテレスである。プラトンは、まだ「国家」に対応した「ティマイオス/クリティアス」を描いて詩情の世界も考えていたように思う。しかしアリストテレスは、もっと冷徹に哲学的思考を押し進めた。
 そして、現代の数学では、ヒルベルトが幾何学を徹底して作り直すことを試みている。
 彼の言う事をもう少しわかりやすく言うと
  「幾何学で使う『点』や『線』には、私たちの今までの経験による
   イメージがある、これを排除して『椅子』と『机』いう記号に対して、適切なる
   定義や公理を与えることで、そこから幾何学の定理と同じ結果を
   推論できるような、形式的にしっかりした体系を作らないといけない。」
という議論である。
 このような、記号だけの世界を実現しようとするのが『図』であり、プラトンが排除した『詩情』の世界が、『絵』ではないかと思う。
 西洋文明が、数学などの抽象的な思考で大きな成果を生み出したが、『図』に関しても、産業革命などには大きな功績があったことを今一度考えるべきではと思う。
 

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 先日、プラトンの「ティマイオス」について、詩情や絵と書いてしまった。  htt [続きを読む]

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