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2018年11月25日 (日)

反省のやり方について人それぞれの対応

 近頃のニュースを見ていると、
   「反省がうまくできていない」
と思うことが多い。例えば、N社の会長への高額金銭授与問題に関しても、元々N社の経営がボロボロであったため、強引で強権的な人に来てもらって、今までのしがらみを切って、改革をしてもらった。その結果、N社は経営路線の大転換を図り、V字回復をしたのである。
 このような強権政治がないと、N社が復活できなかったことは、認めないといけない。
 また、近隣のK国でもまた、大統領降ろしが始まっている。この国は反省ができていないように思う。K国の場合には、根本的に
  「自力で国を作ったことがない」
というコンプレックスに、正面から向き合っていないから、我が国に文句をぶつけている。そしてこちらが強く出て経済的な攻勢まで出ると、途端に迷走が始まる。
 両者について、本質まで踏み込んだ反省ができない人間の特徴が出ている。つまり
 
   「他罰的発想」
で、自分の責任を転嫁しているから、本質に到達できない。
 自己責任を他人に言うのは間違いが多いが、自分に対してはきちんと考えるべきである。
 しかし、ここでもう一つの懸念がある。まじめすぎる
  「自罰的発想」
の人間は、自己責任論が響いて、自滅する可能性がある。
 さてこの問題への解決はあるのだろうか?
 私の考えでは、一つはトヨタの対応である。トラブルの真因追及を行うが、それは改善提案に導く真因追及である。反省に改善が対になっているから、自罰の影響は少ない。
 この本質を考えると、自罰に自力の改善力を絡めることが重要だと思う。また周囲の支援も必要である。
 このように考えると、大乗仏教の懺悔法はよくできている。自己の仏性という力を前提に、自己責任の懺悔を行わせ、佛の加護という支援を入れる。これが大切ではないかと思う。
 

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