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2018年12月28日 (金)

学問の方法への反省

 昨日は、私が何を学んだかを少し振り返ってみた。
 そこでもう少し自分の学習方法の振り返りをしてみた。
 まず私にとって、有利な点は小学校時代から色々な本を読んでいた。特に科学の歴史でガリレオが慣性について知る話を読んでいた。このような科学の物語を知ることは、中学時代まで理香に対する興味を維持するために有効であった。もう一つ本を読んだ効果は、算数の文章題を解く力が付いたことである。これは逆に文章読解力を強化することになった。
 一方、不利な点は、家が貧乏だったので、友達付き合いができなかった点である。これは、対人スキルの低さと種々の経験不足として表れている。
 さて、中学や高校までは、この読解力などで何とか成績を維持できた。
 次に大学に入ったが、ここで大きな壁にぶつかってしまった。しかも最悪の状況になったのは、当時の自分がその状況を知らなかったとことにある。つまり
  「数学的な形式論の展開ができていない。
  直観的な意味がどこか潜在的に絡んだ推論しかできない。」
という自分の欠点が、理解できていなかった。
 例えば、数学で学ぶ『群論』には『積』という演算が出てくる。これを、数値の掛け算のイメージで常に考えてしまう。これが私の欠陥であった。言い換えると
  「数学は最低限の前提から形式的ルールで何が導かれるかを
  研究する学問である。数学は自然界と独立の物である。」
ということが理解できていなかった。
 もう一つ踏み込めば、
  「形式論への学びが浅かった。徹底していなかったから
  形式論だけでの体系を自分で構築できなかった。」
というレベルに留まったことが失敗の元である。
 形式論の理解が徹底していたら、
  「経験なしでも議論ができる」
レベルに到達できたである。そこまで行けなかったことが、いまだ後悔していることである。
 ただし、自分の力に関して、色々な理論的知識を求め、哲学や社会学まで遍歴した結果、何とか形式論の位置づけと、現実社会のモデル化という議論ができるようになった。
 ここまでの道のりは、回り道だったのか、必要なモノだったか、いまだに答えは出ない。
 しかし、数学の形式論に関して、明確な理解を持つことは、大学生レベルでは必要ではないかと思う。
 その上で #ミルズ の #社会学的想像力 の理解が有効ではないかと思う。
 

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