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2018年12月16日 (日)

仕事における権力と責任があいまい

 先日、日経BPで、賃金に関する記事を読んだ。
この議論の趣旨には賛成だが一つ引っかかるところがある。
労働経済学の標準的な理論によれば、賃金格差の発生原因は以下の4つに整理される。
  1. 技能の違い―技能が異なれば生産性が異なり賃金も違う
  2. 職場環境の違い―深夜勤務など厳しい労働条件には高い賃金が支払われる
  3. インセンティブ設計の違い―労働者の技能蓄積を促し、やる気を引き出す種々の労務管理に服していると賃金が高い
  4. 労働市場における外部機会の違い―好待遇で他社に転職できる労働者は交渉力を持ち賃金が高い
このように賃金格差の理由を述べているが、私はもう一つ大事な要素があると思っている。それは、
  「業務における責任の取り方」
である。私は、コンピュータソフトの世界にいたので、実体験したが
  「会社の看板を背負っている立場では、一度納めた製品の責任は
   ずっと背負っていかないといけない。」
という重みである。正社員として長く雇用する場合には、このような責任を背負う話が、あるように思う。ソフトウエアのタラブルや、改造増設にきちんと向き合う。これは、外注先などは、
   「もう知りません」
と逃げることができるが、会社の名前を背負った正社員なら逃げられない。
 この責任が、給与格差の一因ではないかと思う。
 しかし、今のニュースを観ると、大企業が下請けの責任としたりして、色々と逃げている。かえって責任を下に押し付けている感じもする。これでよいのだろうか?
 
 もう少し言えば、日本の企業の責任に関して、社会の対応も矛盾している面がある。北海道のブラックアウトに関しても、電力会社に責任を押し付けるのが正しいのか、自由化した責任者たちはよく考えて欲しい。有限責任の会社に、無限の要求を躾ける、民衆や政府、これでは話がおかしくなる。 
 これと関連して、雇用契約に仕事の責任がどう書いているか、そこまで考える必要があるかもしれない。

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