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2019年1月31日 (木)

仏の立場では全てを観ないといけない

 昨日書いた、
話について、仏教の教えに丁度良い教えがあるので、引用しておく。
今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり 
而も今此の処は 諸の患難多し 唯我一人のみ 能く救護を為す
これは、法華経の中でも、一番大事な部分の一つ、日蓮宗では「欲令衆」と呼んでいる部分の一節である。
 ここで言っていることは、全てを観ている、仏の立場では、全てが自分の一部というか、責任範囲である。全ての衆生は全て我が子である。その悲しみは、自分の悲しみである。
 このように説いている。
 法華経の教えには、
  「全ての人が仏になる」
と説いているが、
  「このような責任の重さ」
も背負わせた上での話である。この重さに耐える人がどれだけいるだろう。
 
  「苦しんでいる人がいる」
と叫ぶ人権活動家は多い。ただその活動家に
  「お前たちは贅沢をしている。
  お前たちのせいでこの子たちの命が奪われている。」
と糾弾されて、PTSDになる子供もいる。このようなことにまで思いやるのが、本当の仏の教えだろう。

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