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2019年1月 4日 (金)

人間関係の時代的変化について

 天台の摩訶止観を読んでいて、一つ思いついた。摩訶止観が説かれた6世紀ごろの人間関係は、実際に出会って、言葉を交わす触れ合いが中心であった。希に、手紙というものもあっただろうが、紙はとても貴重品だった時代である。その時代をきちんと想像しないといけない。
 これを知ると、衆生の心や国土の世間を知ることで、その人への慈悲の心が自然に起こるということは、よく分かると思う。逆に、自分のいる世界以外の人間について、知ることがないという状況であった。ここで、止観の修行をして、他人の心も思いやれば、自然と慈悲の心も出るだろう。
 さて、現在は、学校制度の影響で、いやでも多くの人と触れ合う。しかもマスメディアやネットの影響で、遠く離れた人の情報も入ってくる。これは、外国の難民に対して「かわいそう」という感情を持つ機会になる。このようにして、世界平和に少しでも貢献しているのだろう。
 しかし、本当に人の心がわかるのであろうか。6世紀ごろに話を戻せば、人間関係は密な接触であり、「触れる」という文字が示すように、身体的接触や匂いなども伝わる関係であった。現在のマスメディアやネット上の関係は、音声や画像に特化している。極端な話は、SNSの文字の断片である。このようなものの関係は、感情のつながりより暴走になることもあるように思う。
 人間関係が、広くなったが、感覚的には偏り、浅くなっている。これをもう一度反省することも大事ではないかと思う。

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