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2019年1月30日 (水)

彼にとって「人間の範囲」はどこまでか

 明石の市長の暴言問題が、ニュースになっている。しかし、この問題を、
   「パワハラ」
として報道している、マスメディアの姿勢には、大きな疑問がある。確かに彼の行動は、パワハラであり、許される行為ではないkとは確かである。しかし、私はもっと大きな罪があると思う。それは
   「家を燃やしてこい」
という発言である。たとえ工事の邪魔になっていても、市民の財産である家を、市長の命令で燃やす、このようなことがあってよいのだろうか?
 この話をもう少し掘り下げると、泉市長の頭の中には
   「人権を守られるべき対象」
がきちんと線引きがされているということである。彼が
   「人間として認めないもの」
の所有物など燃やしてもよいということである。これが、もう少し進むと、某大量殺人やナチスの虐殺にまで進む可能性がある。
 実は私は、昔の国会議員選挙前に、彼が駅前で怒鳴っていた内容から、このような危険性を感じていた。当時は
   「大企業関係者は人間ではない」
という内容に感じたが、このような発想が根本にあるのだろう。
 
 さて、この問題は実は西洋文明系の学問などの影響を受けた、政治活動化などにもよく起こっている。ミルズの「社会学的想像力」はこの対策としても重要な手段である。実例を一つ挙げれば、A新聞の東電事故のY報道であろう。T電の社員が、命令違反ということで追及され迫害されても、
   「彼らは人間でない」
と自分たちの思い込みで追及した。このような、
   「人権を主張させない人種」
が生まれた理由は、西洋文明の根本にかかわる問題があると思う。西洋文明の発祥である、ギリシャには奴隷制度があった。このような奴隷制度は、アメリカの人種差別という形で20世紀まで影響があった。いや今でもいろいろな影響が残っている。
 このような、思考方法を持っている人間を、政治家として選ぶべきか、それは市民の良識の問題であるが、このような性向をきちんと市民に知らせなかった、メディアの責任もあると思う。

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