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2019年1月 5日 (土)

社会制度の相対化ができるか

 先日書いた、韓国の儒教精神の弊害の話、そして昨日の人間関係の変化の話、に加えて、社会制度についてもう少し考えてみた。中華文明の儒教にしろ、西洋文明のキリスト教にしろ、ある程度は支配者層に便利な教えの道具になっている。つまり階層化をうまく理論づけて、支配側の有利な理論を作るためである。儒学などでは、科挙を合格した人間が、儒教をきちんと知っているから良い政治を行う。知らないものはこれに従えと言う発想である。
 確かに、世の中で生きていくことは、ある意味では自然との闘いであり、そのために勤勉にさせるような動機付けや、全体として働くように持って行く秩序付の道具は必要だろう。そのように考えると、現在社会の色々な制度はよくできている。学校制度である程度の常識を与えて形にはめてしまう。その後は法制度で縛っていくという考えである。
 しかし、このような制度が全てか、これはよく考えてみないといけない。
 
    「学校の成績だけが全てではない。」
これは比較的よく言われる。しかし、現実にこの成績に縛られている人が多くいる。また逆説的だが、学問をしっかり学んだ人には、それなりの仕事ができる人が多い。これをきちんと見極めて、
    「学問の効果はあるが、絶対的なモノではない。」
と正当な評価ができないといけないと思う。
 そのほかの社会制度も、同じように人が作ったものであり、ある程度の便利さのためである。これを絶対視するのもいけないが、軽視するのもいけない。
 このような相対化を行うためにも、全体像を広く把握する。過去から未来の時間軸を観る。このような視野の広さが必要だと思う。

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