ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 断片情報から人間を想像できるか | トップページ | 形式理論で議論する資格 »

2019年1月24日 (木)

現在の進歩が人を想像する力を失わせているのでは

 近頃書いている、コミュニケーション能力の問題において、根本的なモノは
   「話す相手を思いやる力」
が不足していることが原因ではないか?さらにこの原因は、現在の行き届いたメディアと教育システムにあるのではと考えた。
 このように考えた理由は、別の時代との比較検討がヒントになっている。ここ数年、6世紀の中国で書かれた「摩訶止観」を読んでいるが、その時代と比較すると、現在のメディアの充実はとても大きなものがある。6世紀の状況を考えると、紙の供給は少なく貴重品である、印刷技術はまだないから手書きで写すことが主体になる。従って、絞り込まれた書き物を、徹底して読んでいく。また説法で伝わるものも大きい。絵画はまだ少なく、寺にある仏像を拝むことが、画像情報の伝達になる。その逆に、死体などを見る機会は多い。
 このような状況では、私たちが思う「極楽浄土」のイメージを伝えることは難しい。かえって、刀で追いかけられる地獄や、食べ物に困る餓鬼の世界の方が、想像しやすかったであろう。そこで、摩訶止観では、
   「仏が即ち法界である」
と教えている。つまり、理想の世界を想像するために、その世界を創り出す仏をイメージする。少なくとも仏の外観は、寺にある仏像があるからイメージを作りやすい。この仏の色々な活動を想像しながら、慈悲などを理解していく。これが当時の教え方であっただろう。なお、数学なども一般に教えられていない。従って、数の概念も限られたものである。我々が簡単に使う、無限大や無限小という概念はない。
 一方、現在の私たちは、紙の情報は雑誌や本があふれている。自分で書くことも、比較的安価で入手できるノートなどがある。また画像情報、音声情報は、テレビなどのメディア、スマホ等のツールを通じて、多くの供給と自分での発信ができるようになっている。一方、医療と社会制度の充実で、放置された死体などは、事件の報道などでしか見ることがなくなっている。
 さらに、学校教育が充実しているので、知識は整理し階層化して、段階的な与えられ方をしている。特に数学などの記号体系が充実しているところでは、機械的な処理で結果が出るので、意味を考えないでも答えが出せるようになっている。
 このような、現在社会への適応が、結果として
   「他人の人格を思いやる」
必要性すら忘れさせたのではないかと思う。
 

« 断片情報から人間を想像できるか | トップページ | 形式理論で議論する資格 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 現在の進歩が人を想像する力を失わせているのでは:

» 形式理論で議論する資格 [勉強の方法補充]
 昨日書いた、想像力の話に関連して、逆の立場でもう少し議論していきたい。  ht [続きを読む]

« 断片情報から人間を想像できるか | トップページ | 形式理論で議論する資格 »